デス・オーバチュア
第95話「影の境界」




「何者だ!? 名を名乗れ、下女!」
ノワールは普段の育ちの良さそうな少年言葉から、傲慢な皇族らしい偉そうな口調に一変していた。
どうもノワールは不愉快なことがあるとこういう口調になるらしい。
どちらが彼の地、本質なのかは、この場に解る者はいなかった。
「わたしの名はアンベル、通りすがりのただのハンターだ……なんて言ったら格好いいですか?」
ローブから覗く口元が悪戯っぽく笑う。
「ふざけるなっ!」
ノワールの左手にはすでにラストエンジェルが戻り握られていた。
ノワールは再び、九色九つの閃光を放とうとする。
先程のは偶然だ。
そうに決まっている。
こんな得体の知れない……どこの馬の骨とも解らない、胡散臭い布切れに、必殺の一撃が敗られるはずがないのだ。
だが、それを試す機会は与えられない。
「くっ!」
突然、四方八方から、無数の『弾丸』がノワールを狙って襲いかかってきたのだ。
ノワールはラストエンジェルを振り払う。
刃から放たれる九色の光輝が迫る全ての弾丸を掻き消した。
「NO!? YOUの能力狡いヨ! デタラメよ!」
声は、水晶柱のセットされている魔法陣の中から。
魔法陣の中心には、翠緑色のトレンチコート(打ち合わせがダブルで、共布の大きな肩当てがつき、ベルトを締めて着る活動的なコート)の女が自動短銃(サブマシンガン)を構えて立っていた。
「くっ! まだ他にも下種が居たのか!?」
「バーデュアちゃん、いいからさっさと水晶柱を全部確保しなさい! 元々、わたし達がここに来た目的はそれの奪還なんですからね!」
桜色のローブが翠緑のトレンチコートを叱咤する。
「解ってるネ、姉さん、MEに任せるネ!」
「貴様らの目的は水晶柱か……」
水晶柱などもはや用済みである、くれてやっても別に構わなかった。
だが、彼女達はノワールの邪魔をした、ノワールに攻撃してきたのである。
何よりも、ノワールの必殺の技を破り、彼のプライドを傷つけた行為は……絶対に許すことができなかった。
「貴様……君達が何者かは知らないけど、僕に牙を向けた罪は万死に値する!」
ノワールはいつもの口調に戻しながら死の宣告を告げる。
「NO、牙じゃなく弾丸ヨ?」
翠緑のトレンチコート……バーデュアの言い訳?など当然ノワールは聞く耳持たなかった。
「下種共よ、まとめて消え去るがいいっ!」
ノワールはまず、桜色のローブ……アンベルとタナトスに向けて、ラストエンジェルを突きつける。
『……ディマーケイション……』
どこからともかなく、新たな人物の声が聞こえてきた。
ノワールが何か攻撃を仕掛けるよりも速く、黒い影が彼の足下を埋め尽くす。
ノワールは自分の足が影の中に吸い込まれると同時に、体中から力が凄まじい速さで奪われていくのを感じた。
「ふざけるなっ!」
ノワールはラストエンジェルを光の神剣ライトヴェスタに『チェンジ』させると、足下の影を切り裂く。
謎の影は消滅し、床は正常な普通の床に戻っていた。
「……影の境界(シャドウディマーケイション)を斬りましたか……」
ノワールの数メートル後方に、西方風のドレスのような喪服の女性が立っている。
帽子とヴェールで顔を隠した黒一色の女性の足下から『影』が円形に拡がった。
影は一瞬で、部屋中の床を埋め尽くし支配する。
しかし、それよりも速くノワールは宙に逃れていた。
この影の正体を一度喰らうことで理解していたからこその回避行動である。
喪服の女の使う影は、喰らうモノだ。
魂殺鎌のように、触れたモノの命や精気とでもいったモノを吸い尽くす性質を持つている。
いや、もしかしたら、物質、肉体さえも溶かして喰ってしまうかもしれなかった。
「光輝の剣ですか、厄介ですね。オーニックスちゃんの影はどんな物質でも斬れません。唯一つの例外を除いては……」
その唯一つの例外こそ『光』である。
アンベルとタナトス、それにバーデュアも、影の上に居たが、さっきのノワールのように影に引きずり込まれることはなかった。
オーニックスの影は喰らいたいモノだけを判別して、吸い込むことができるようである。
「オーニックス、援護するネ!」
銃声と共に、いつのまにかバーデュアの両手に装備された二丁のショットガンが火を噴いた。
ショットガンから放たれた今回の弾丸はショットシェル(散弾)ではない。
散弾全ての威力を一発に集中したような、スラッグ弾と呼ばれる巨大な弾丸だった。
「ふん、くだらないっ!」
無数の礫と違って、今度のはたった二発の弾丸である、九色の光で掻き消すまでもなく、普通に剣で切り落とせばいい。
ノワールは心臓を狙ってくる一発目の弾丸を切り落とそうとした。
だが、弾丸は意志を持つかのように、剣を回避し、ノワールの右肩に直撃する。
「ぐっ!?」
その痛みにノワールが僅かに顔を歪めた隙に、二発目の弾丸が左膝に炸裂した。
「おのれ、下種共がっ!」
熊などの巨大な獣を一撃で仕留める威力を持つ弾丸とはいえ、ノワールにとっては針を刺された程度の痛みしか感じない。
それでも痛いものは痛いし、痛み以上にこんな馬の骨の攻撃を受けたという事実こそが、屈辱という名の激痛になった。
影の床から無数の影の手が宙のノワールを捉えようと伸びてくる。
空中とて完全な安全圏ではないようだ。
「図に乗るな、陰気女がっ!」
ノワールの左手の偽ライトヴェスタがルーファスの光輝天舞のような膨大な光輝を放ち、迫る影の手を全て呑み尽くす。
影の手を呑み尽くした光輝はそのまま影の床に直撃し、その光輝を持って全ての床の影を消し去った。
「おのれ……おのれっ!」
なんてうざい下種共だろう。
翠緑の銃士も影の喪服女も、ノワールにとって『敵』ではなかった。
僅かでも負ける可能性などない、彼女達などノワールから見たら羽虫に過ぎない。
それでも、いや、それだからこそ鬱陶しかった。
「あ、これは青水晶の紛い物ですね、まあ、一応貰っておきますか」
アンベルは、射撃開始の直前にバーデュアに投げ渡された水晶柱達をチェックしている。
七つの水晶柱のうち、青はジブリールの天使核、赤はエリカの炎の剣、緑はアクセルの創った疑似水晶柱が代用されていた。
緑の疑似水晶柱はタナトスに破壊され、炎の剣はいつのまにか姿を消しており、残っていたのは四つの水晶柱とジブリールの天使核だけである。
「……あなたは戦わないんですか?」
アンベルは、水晶柱を全て懐にしまい終えると、いまだに呆然と座り込んだままのタナトスに声をかけた。
「…………」
タナトスは答えない、いや、アンベルの声自体彼女には届いていないようだった。
「自分の男を殺されたんだから、相手を殺すぐらいの憎しみを持ったらどうなんですか?」
「…………」
「まあ、わたしの知ったことじゃないですけどね。さっき、クリア国と契約したんで、一応守ってはあげますよ、あなたも……だから、安心して呆けててください」
アンベルはそれだけ言うと、タナトスに見切りをつけて歩き出そうとした。
「……んっ? ちょっと……もしかして、あなた?」
アンベルの足が止まる。
アンベルは改めて、タナトスの全身を値踏みするように観察しだした。
「ああ、これは丁度良いですね。ここに来てから初めて条件に合う物件を見つけましたよ」
「…………」
タナトスはアンベルの呟きにやはり何の反応も示さない。
「……せめて、少しぐらいは役に立たないとあなたも心苦しいですよね? ええ、解っていますよ、あなたの気持ちは……だから……」
肉の貫かれるような音がした。
タナトスの胸の真ん中から血塗られた手が生えている。
「少し協力してくださいね」
アンベルの右手が背後からタナトスを刺し貫いていた。








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